福井藩校は藤島高校

福井市に住みたい!

    福井市大宮

    福井県福井市に大宮という場所があります。ここの交差点は地元の人なら誰でも知っている交差点です。以前は『大宮交番前』という交差点でした。

    大宮交番が移転したので、『大宮交番前』という名前ではなくなりましたがたぶんこれから先も『大宮交番前交差点』といえばすぐに地元の人たちは分かってくれるでしょう。

    この『大宮交番前』という場所の周りには、福井の教育機関がわりと集まっています。『福井大学』に『福井大学教育地域科学部附属中学校・小学校・幼稚園』とあります。『大宮交番前』の交差点から車で5分足らずの文京という所には『藤島高校』もあります。このような土地柄なので、福井の文教エリアとして人気のある所です。

    『大宮交番前』の交差点を山のほうへ向かっていくと、恐竜博物館がある勝山市へずっとずっとひたすらまっすぐ進めばカーナビ不要と言っていいほど分かりやすい道になっています。そして元大宮交番があった「あわら街道」をあわら方面へ「えちぜん鉄道」と並走して車を走らせていくと、コシヒカリや麦などの田んぼや畑が広がっていて、そのまま「芦原温泉」や「東尋坊」へと道は続いていきます。

    歴史好きなら聞いたことがあるかもしれませんが、新田義貞が戦没したといわれている伝承が伝えられている、新田塚の古戦場もすぐ近くにあります。バス停でいうと1区間か2区間というぐらい近いので、徒歩だと5分ぐらいの距離になっています。

    文教地区

    文教エリアとしても人気のあるエリアの理由には、『藤島高校』の存在ぬきにしては語れません。地方に行けば行くほど、伝統公立高校の人気は非常に高くなっています。『藤島高校』が設立された年は、福井藩校明道館開校の1855年(安政2年)にまで遡ります。

    福井藩校明道館 → 明新館 → 福井私立福井中学 → 福井明新中学 → 福井県尋常中学校 → 福井県福井尋常中学校 → 福井県福井中学校 → 福井県立福井中学校 → 福井県立福井第一高等学校 →  福井県立藤島高等学校 と名称は変わりました。前身は、旧制福井中学校と福井高等女学校になっていて福井県内随一の伝統校(男女共学)になっています。文部科学省より、2004年度および2009年度に、それぞれ5年間のスーパーサイエンスハイスクール指定を受けています。

    『福井大学』も近くにあります。福井大学がちょっとした注目を浴びたことがあります。それは2008年から4年連続で全国立大学中第1位の就職率を上げ続けていることです。今後もこの記録が更新されていくのかどうかが楽しみでもあります。そしてもともとの前身の福井師範学校の起源となっている小学師範学科から、福井大学となり福井大学に附属する教育機関として、『福井大学教育地域科学部附属小学校・中学校』と大宮という住所ではありませんが、どれもが近くの場所に位置しています。『福井県立歴史博物館』もこの近くです。そしてこの歴史博物館の住所は大宮になっています。以前は総合博物館として自然・歴史・民族・産業に関する展示をしていましたが、自然分野に関しては2000年(平成12年)に開館した福井県立恐竜博物館へ自然分野を移管しました。そして展示内容をすべて入れ替えるために2002年(平成14年)4月から休館して2003年(平成15年)3月12日に内容をすべて入れ替えた状態で改めて開館しました。歴史博物館という名前の通りに「ふくいのモノとモノづくり」をテーマにした「歴史ゾーン」「トピックゾーン」という展示のほかにも、博物館の収蔵庫をイメージした展示を行っていて、資料の整理・調査の様子などをみることができる「オープン収蔵庫」などユニークな展示スタイルで人気があります。

    藤島高校

    昔の藩校といえば、21世紀の現代でも進学校として名高い学校が数々ありますが藤島高校は福井藩の藩校です。福井出身の著名人もかなり多数卒業していますが、進学校の名前通りに、スーパーサイエンスハイスクールに指定されている学校でもあります。スーパーサイエンスハイスクールはSSHと略で書かれていますが、文部科学省が科学技術や理科・数学教育を重点的に行う高校を指定する制度のことです。2002年(平成14年)度に構造改革特別要求として約7億円の予算が配分されてこの取り組みが開始されました。藤島高校には同窓会がありますが、同窓会の名前は社団法人明新会(めいしんかい)です。藤島高校に本部がありますが、そのほかにも卒業生の多い全国6ヶ所に支部があります。藤島高校卒業生は全員卒業と同時に自動的に明新会の会員になります。慣例として、藤島高校の卒業式に卒業生退場したあとに再び卒業生が講堂に集められてそのまま明新会入会式を行っています。

    藤島高校:沿革

    1855年(安政元年)・・・
    福井藩校明道館を城内三ノ丸(現・福井市大手2丁目)に創設されました。
    1869年(明治2年)・・・
    明新館と改称し、城内御本丸に移転しています。
    1873年(明治6年)・・・
    福井私立福井中学と改称しました。
    1874年(明治7年)・・・
    福井明新中学と改称しました。
    1882年(明治16年)・・・
    福井県福井中学校として発足しました。
    1889年(明治22年)・・・
    福井県尋常中学校と改称して、女子部を併設しました。
    1892年(明治25年)・・・
    女子部が独立して、福井県高等女学校として佐佳枝上町に開校しました。
    1897年(明治30年)・・・
    福井県福井尋常中学校と改称しました。
    1899年(明治32年)・・・
    福井県福井中学校と改称しました。福井県高等女学校校舎を宝永町に移転しました。
    1901年(明治34年)・・・
    福井県立福井中学校、福井県立福井高等女学校と改称しました。
    1906年(明治39年)・・・
    同窓会「明新会」(現「一般社団法人 明新会」)が発足しました。
    1930年(昭和5年)・・・
    福井県立福井高等女学校校舎を和田村勝見(現・福井市御幸2丁目)に移転しました。
    1936年(昭和11年)・・・
    福井県立福井中学校校舎を牧ノ島(現・福井市文京2丁目)に移転しました。
    1948年(昭和23年)・・・
    学制改革に伴って、福井県立福井中学校と福井県立福井高等女学校を統合して、福井県立福井第一高等学校として発足しました。通信制課程を併設しています。校章を制定しました。
    1949年(昭和24年)・・・
    福井県立福井第一高等学校と福井県立福井第二高等学校工業課程を統合して、福井県藤島高等学校と改称しました。
    1956年(昭和31年)・・・
    創立100年祭を挙行しました。現行の校歌を制定して、「福井県藤島高等学校百年史」を発刊しました。
    1957年(昭和32年)・・・
    福井県立藤島高等学校と改称しました。工業課程が独立して、福井県立福井工業高等学校(現・福井県立科学技術高等学校)として山奥町に開校しました。
    1971年(昭和46年)・・・
    通信制課程が福井県立道守高等学校へ移管しました。
    1980年(昭和55年)・・・
    本校と高志高校との間で学校群選抜入試制度を実施しました。
    1988年(昭和63年)・・・
    「百三十年史」を発刊しました。
    1994年(平成6年)・・・
    米国ニュージャージー州ニュープロビデンス高校と姉妹校提携しています。
    2004年(平成9年)・・・
    藤島・高志学校群選抜制度が廃止になりました。文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールの指定を受けています。
    2006年(平成18年)・・・
    創立150周年記念式典を挙行して、「百五十年史」を発刊しました。
    2009年(平成21年)・・・
    文部科学省からスーパーサイエンスハイスクールの指定を受けました。

    部活動

    150年の伝統と歴史を誇る藤島高校ですが、ほとんどの生徒が大学進学を目指しています。教育課程では高2年生のときから生徒の志望に応じて文系と理系コースに分かれます。そしてその中で選択科目を設けることで、せいと一人ひとりの能力や適性が発揮できるような指導体制がとられいます。スーパーサイエンスハイスクールとして、数学と理科に重点がおかれた教育課程の開発などにも取り組んでいます。

    進学校というなかでも部活動としても活動しています。その中でも全国大会に出場する部もいくつかあります。(囲碁・将棋・放送部など)

    明道館

    藤島高校は江戸時代の藩校でした。明道館(めいどうかん)は、江戸時代後期の安政2年(1855年)に福井藩主の松平春嶽(まつだいらしゅんがく)が設立しました。福井城三の丸の大谷半平(大館兵馬)の屋敷地を御用地として移転させた後に設けられました。半平は安政2年の正月に、加藤郷八の屋敷を代替地として賜り移りました。そして、橋本左内(はしもとさない)が学監心得とりました。

    明治2年(1869年)に移転して名前を明新館と改称しました。その後の旧制福井中学校、現在の福井県立藤島高等学校へとつながります。明道館は由利公正(ゆりきみまさ)、関義臣(せきよしおみ)、日下部太郎(くさかげたろう)などを輩出しました。理科を教えたウィリアム・グリフィス(アメリカ人)や、熊本から請われた維新の十傑の一人、横井小楠(よこいしょうなん)などもいました。

    日本初のアメリカ式理科実験室

    アメリカ人のウィリアム・グリフィスが福井藩の藩校明新館で、天窓のついた理科室と大窓のある化学実験室を設計しました。ウィリアム・グリフィスはアメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィア出身で、オランダ改革派教会系の大学ニュージャージー州ラトガース大学を卒業しました。

    ラトガース大学で福井藩からの留学生だった日下部太郎と出会い親交を結びました。その縁から1871年(明治4年)にアメリカから日本へ渡ってきました。そして福井藩の藩校明新館で1871年3月7日~1872年7月20日まで理科教師として化学と物理を教えました。

    その後、1871年(明治4年)7月に、廃藩置県によってウィリアム・グリフィスと契約してあった福井藩がなくなってしまいます。しかし、フルベッキ(宣教師で神学者)や由利公正たちの要請によって10ヶ月滞在した福井を離れて東京大学の前身でもある大学南校へと1872年(明治5年)に移って、1874年(明治7年)7月まで物理・化学そして精神科学を教えました。このウィリアム・グリフィスと日下部太郎が縁となって、ラトガース大学があるニューブランズウィック市と福井市は1982年(昭和57年)に姉妹都市として提携を結ぶことになりました。